昭和50年1月20日 朝の御理解
中村良一
御理解 第73節
「変人になれ。変人にならぬと信心はできぬ。変人というは、直いことぞ。」
これが本当な事だと。これが真っ直ぐいことだと言うことが分かったら、それを、貫くということ。貫かせて貰う過程に於いてです。あっちは、なかなか変わってあるという、そういう意味だと思うのです。ここで変人と仰るのは。あっちは、なかなか変わってある。しかし、本当に、いわゆる、確信と申しますかね。確固たる信念の持てれる生活をするということは、有難いと言うだけではなくて。いわゆる、安心の生活というかね。絶対のものを持っております。それにはやはり、これが本当だ、これが直いということには、それを貫かせて貰うということ。妥協がない。やはり、お徳を受けられる、またはおかげを受けておる、本当に受けておる人達は、確かに、変人ぶりを発揮致しますですね。
御本部に、今おられます、ここにも、一回、お話に来て頂きました、須田先生なんかは、確かに、変人ぶりを発揮して行かれます。実に、確信に満ちた、いうならば、神様のおかげで生かされて生きておるという実感を味わいながら、生活をしてござると思われるほどしのおかげを受けておられる。けども、なかなか、やはり、人が言うても、これが本当だということは、絶対曲げられない。だから、例えて言うと、奥城で御祈念をなさるでも、自分のところに、信心を求めてくる信者さん達を、何時も、十人、二十人連れて、一緒にお参りになっておられますもんね。これが、金光様のご信心ばしてござるとじゃろうかというような感じを受ける様なことがあるんです。まるきり、拝み屋さんの様な、最高の学問を身につけて、そして、金光学園の校長を、長年なさいましたですね。それなんかも、無報酬だったそうです。けれども、金光の本部の方から、お家でも、全部、あんな立派な家を提供してあるから、かえって、本部としては、高くついてるのじゃないかと思いますね。そういう様なことが、そんな事だけではなく、万事に開けて行く訳ですね。はぁだから、拝み方なんかでも違う。それこそ、拝み屋さんのような感じ。あれだけ、お道で言う学者であり、いわゆる、お道の教団でも言うて来て通っておられる方がです。その恥とか、外聞とか、そんなコツなんか、臆せられない。色々、その事を非難する人がありますけれどもね。そらもう、すさまじい御祈念のし振りですね。手を振り、体をゆすりしてから、その御祈念をなさいます。それが、私は、本当だ、本当でないかということは分かりません。私共のように、黙って拝む者もあるのですからね。ですから、けれどもその、貫かれるということが素晴らしい。
あの、大きな工場の、スフを一番初めに発明された方ですよね。スフというあの、戦時中に出来ましたね、布が。その工場で、鉄の飛行機が、どんどんその、工場の周りを、爆弾投下致しました時なんかは、一番屋上に上がって、マイクを持って、一生懸命、御祈念された。だから、私がここで、御祈念をしておる間はね、ここには絶対、弾はおてんち言うてから、全工場に言いながら御祈念されたつですきん、一番屋上で。それでも、もう危ないと思うてから、逃げ出した人が、門を出た途端にやられておりますですね。一人も怪我人がない、いわゆるその、先生の確信とでも申しますかね。そういう、例えば、そういう方が、まぁおかげを受けた人というのは、そういう方ばっかりです。それを最近、その手前のところで申しますなら、ここの裏の久保山さんですね。久保山千代子さん。まぁだ、ここへ、私共が参りましてから、信心を始められた。そして途中で、しばらく止められて、最近、熱心にお参りなさいます。そら本当にその、やはり、人が変人というくらいに、毎日毎日、お参りられてから、お届けはどういうことかと言うと。今日も一日、なにとぞ、成り行きを大切にさせてくださいである。
昨日は、あちらへご普請が、長いことかかりまして、出来上がりました。それで、ここの、リーダー達ばっかり五名で、新築の披露に呼ばれております。帰ってきて、聞かせて貰いましたら、もうそら、ちょっと素晴らしか家が出来とるち言う。もう、ちょっと言うならば、合楽風なのです。大工さんが、ぐずぐずされる事がある。左官が来ないということがある。もう絶対、どうしてこんかということを言われんのです。村近所の者も、何時ここは建ち上がるじゃろうかち言うて、みんなが、評判するぐらい。それが、さぁ、実際出来上がってみると、なるほど、今日でなからなければ出来ないというようなおかげを受けておられます。そりゃ、もう本当に、親先生にもお出でて頂きたいち、あちらのご主人が言われるそうですけれども。親先生においでて頂けないから、まぁ、光昭か、リーダーだけ、マルショウのリーダーだけが、呼ばれて、帰ってきてからの話でございます。
この秋の稲作なんかは、あの時分に、私が、薬は毒だという事を言った時分がございましたですね。その証拠にはです、例えば、薬をかけない、畦黒の草は、もうどんなに踏まれても、どんなに、例えば、さぁ干ばつだというてもです。薬を使わんでも、結構、おえておる訳です。薬を使うのは、だから、非常に弱い。だから、私共、お道の信心させて頂いておる者。お道というよりも、むしろ、合楽の方達はです。もう殆ど、いうならば、薬を飲むという方は少ない。どうかある時には御神米。または、御神酒さん。そういう生き方で行くとです。もう薬を飲まんですむほどしのおかげを頂くことは間違いないです。さぁどうかありゃとするとですね、ずーっと、一生、薬飲んどらじゃんです。そりゃ、一寸、頓服的なものを飲みゃ、ちょっと楽になるかも知れませんけれどもね。もう、薬は毒だと思い込んでしまってる。まぁ事実毒ですね。ですからね、とうとう、去年の秋はですね、田んぼに薬を撒かれなかったです。そげなこつなら、近所のあーた、迷惑になっちゃならんけんで、薬だけはあーた、近所が振るなら、それでよかたいと、まぁ言いたいけれども、それこそ、変人ぶりを発揮して行こうとされる、その信心に、私は、やはり、それを育てて行かなければいけないと思いましたから。ところが、もうやんがて、取り入れという頃になったら、田んぼが、あっちこっち、ほげ出した訳です。さぁ、近所の者が、金光様に参りよら、田んぼに薬も撒かれんと言うて、大変評判したそうです。えらいですね、そればってん。さぁところがです、採り上げてみたら、今度は、近所の者がたまがるごと、実が多かったという事です。
何時でしたか、私が、真の信心というお話を、ここでさせて頂きました時に、お話を頂きながら、真の信心とは、奉る道と頂かれたという、あの方なんです。私は、こん時でも、本当に、この事で、随分、おかげ頂いた人があります。なるほど、奉る道。これは、もういよいよ、神に通ずる、天に通ずる生き方です。一切が、神様へ奉ってある生き方なんです。家も蔵も財産も。または、自分自身も。それで、それを例えば、分かりやすく言うならばと言うて、久保山さんに、そん時説明いたしました事でしたけれども。例えば、こうやって、毎朝、あなたが、朝の御祈念にお参りして見えれる。これは、今日一日、この身体を、全身全霊を、いわば、神様へお供えをなさったんですよ。奉られたんですよ。そして、帰りには、お下がりを頂いて帰っておられる訳なんですよ。だから、田んぼに出て、鍬をふるわせて頂こうが、家で勝手の御用をさせて頂こうがです。お下がりを頂いての御用だという事になるのです。自分が、田んぼに出るのじゃない。自分がご飯を炊くのじゃない。そういう生き方。奉る道とは、いわゆる、本当の信心生活とは、そういうものだという事です。ただ、お願をしなければならんから、自分の出来ないとこだけを、神様にお願いして、ほかん事は、自分がすると言った様なものでは、全然ないのです。もう、全体が、神様のおかげでという事になってある。そういう事が、奉る。奉る道という字を、通るという字を頂いた。通り町の通るですね。奉るは、もちろん、奉納の奉です。奉る通。そういう素晴らしい事をです、頂かれる。例えば、今度のご普請のでもです、もう、たいがいな者なら、もう左官がこん、電気屋がこん。私が、とにかく、一番よか時来て頂くですがち。長い事、仕事半ばにして、ほうからかされておられるという時もあったです。あんまり長くかかるから、近所のもんが、何時建ち上がるじゃろうかと評判するぐらいにあったけれども。さぁ、出来上がってみたところがです。やっぱり、そうでなからなければいけないほどしの体験が生れた。その体験が、確信になるのですよ。
私は、今度の稲作の事だけでも、本当にあの、感心致しました。一時は、人が笑われる。金光様に参りゃと言うて、悪口を言う人もある、陰口を言う人もある。村内で、グループがありましてね。今その、グループの方達は、別府かどっか、温泉に行っておられます。積み立てをしておられるのです。ところが、私はご無礼する、寒修行中だからご無礼するち。それでその、四人の方達が、もう金光様の信心すりゃ、そげなこつ言わにゃんごたるなら、ほんなら私だんも、止めにゃ出来んじゃんのと言うて、まぁ言うなら、いわば、脅迫される様な事を言われておられた。けれども、そげな事なかですが、あんたどんが四人で、お出でられて、私が、後ろから、しっかり、後ろ祈念しとくけん、言ってお出でなさいと言うて、行かれる日には、もう、打って変った態度になられて。あくる日は、あんたが参りよるところのお神様の、御神米ば頂いてくれんのと言うて、だから、全部のお届けをされて、御神米を一体ずつ差し上げられて、今日あたりは、帰って見えるんでしょうか、他の方、お連れの方達は。本当に、私は、信心させて貰うならね。そういう毅然としたものが要るんです。コリ積ませちゃならんから、コリ積ませるという事は、これが本当だと思うけれども、あの人が、ああ言いなさるけんと言うて、ぐらぐらするような事ではね、おかげは頂いても、確信は生まれんです。そら例えば、ある意味でです、人に怪我させるような事もありゃ、自分自身も怪我する場合もがあるかも知れません。これだけ確信しとるけれども。例えば、田んぼに虫が出来たと言うようなこともある訳です。けれどもね、それをね、頂いた御理解を、そうだと信じて、信じきることはできませんからね。信じて、それを実行する、行うて行くという事です。そういう場合にです、人は変人と申します。けれども、その変人というのはです、直いという事なのですからね。変人、世間には申します。はぁあっちはもう、じゅうたん願じゃからち言うて、まぁ村内、一人二人は、そげんとが居りますよね。人が川ち言や、山ち、しゃっち言うとが居るです。それとは違うのです。これが本当だと、御教えを頂いて、それが本当だと思い、分かったらです。それを実行して、自分の物にして行くという所に、私は、確信の生活が出来るように、段々なってくる。私共も、それ一つで通ってきました。ですから、場合には、人非人とも言われましたけれども。その人非人と言うておった人達も、やはり、段々、分かって下さるような、おかげを頂いて参りました。人非人とは、人にあらずということなんです。そういう時にです、もう人間が、神に向かって、言うならば、進んで行っておる時です。なるほど、神様に、人じゃない、人じゃないじゃなくて、神になって行く、いうならば稽古です。絶対信という事を、サンフランシスコの福田先生が言うておられます。もう、この方も、大変な学者ですけれども、この教学という事を、大変、徹底的に苦労された方です。けれども、いわば、現在の北米ですね、アメリカで、あれだけの教勢を作られたのは、福田先生の、やはり、確信から生まれた訳です。それには、絶対信という事を言っておられます。そういう、私は、積み重ねが、絶対の物になってくる、絶対信になってくるのです。絶対信の、いわば、生活。それが、私は、本当の信心生活。おかげを受けることが信心生活ではない。
今日は、私は、たまたま、昨日、子供達が、久保山さんところに呼ばれて、しかも、お家が、それこそ、見事なお家が出来たという事を聞かせて頂いて、今日、御理解を頂いたら、このここでしたから、まぁ久保山さんの、これは、いうならば、信心の、まぁだ合楽では序の口の方です。二十年、二十五年と、ここで信心のけいこをしておる方は沢山あります。けれども、やはり、願う所が違う。焦点が違う。どうぞ、今日も一日、成り行きを、いよいよ大切にさせて下さい。だから、普請中でもです、大工がこんなら、来んところ、そのこと自体を、成り行きとして、有難う頂いておられる。左官がこんなら、左官が来んところでです。そして、その間に、大工さんが、交通事故に合いましたり、左官さんでも、または大工さんでも、お導きして参って参りました。もう左官さん、大工さん、それから電気工事の、いろんな問題が、沢山あったんです、その間に。ところが、結局は、やはり、それがおかげであったという事になってしまっておる。なるほど、成り行きを大切にさせて頂くという事は、こんな素晴らしい事だという事を、今度の普請で確信された事である。そんためには、これが本当だという事を、例えば、村内中の者が、悪口を言うたり、またはその、非難されたり、笑われてもです。そこんところを、やってやって、やり抜いておられるという事が素晴らしいのです。なるほど、田んぼは、虫でほげました。けれども、収穫をしてみたら、隣近所のよりも多かったという事実なんです。なるほど、神様の仰せ通りに仕っておけばという事になるのです。これは、教祖様のご伝記を読ませて頂きましても、そういう所がありますですね。だから、結局、教祖の信心に神習わせて頂くというのですから。私は、本気で信心を求め、本当の確信を得るためにはです。人から、いわば、変人と言われるくらいなところ、しかし、これが本当な事だ。これが直ぐいことだと思う事はです。それを貫くという事。そこに、貫く過程に於いてはです、信不足、信ずる心が不足のためにです、失敗に終わるような事があるかも知れんけれども、そこを、やり抜いて行くということなんです。
私は、北京から帰りました当時に、ちょうど、親教会の先代の十年か十五年かの、御霊様のお祭りがございますのに、奥城のお墓のお掃除に参りました。そして、草が生えますから、砂を入れたら良かろうと言うので、砂を取りに行って、砂を綺麗に撒かせて頂いて、まぁ、一箱取りに、石炭箱を後ろへ積んで、自転車でこうやってですね、あそこは、奥城に入りませんから。それからあの、一番最後の時に、早道して帰ろうと言うから、藪があってから、藪の向こうが田んぼです、田んぼの藪を超えて、田んぼの方へ飛び下りた途端に、その竹の切り株に飛び込んで、飛んどる訳です。それでもう、足の踵のところを、もう、ざっくりでした。けれども、とにかく、私の婆達、私共が、転んだりしてから、こう膝を打っちゃったりしますと、すぐ、生神金光大神様、天地金乃神様と言うて、そこの泥をですね、すぐこう塗ってくれたです。昔のお医者さん方は、それを、みんな体験しておられる。ですから、私も、こう歩いて行く間かけでも、砂が入ったり、泥が入ったり致します。それもこら、これで一つ、本当に、それでおかげ頂きよるかどうか、一つ、神様を試してみる訳じゃないけれども、おかげ頂こうと思う。それからもう、終わってから、最後、ちんばちんばしてから、夕方、お広前に行きましたら、親先生が、風呂に入れと仰る。とても、こげな、風呂にども、入られんごたる状態ですけれども、とにかく、親先生の仰ることは、神様の仰る事だというような時代ですから。お風呂にも入らせて頂いた。砂、泥も、全部は出ませんから、中に黒う残っておる。けれども、これは、いうならば、薬を塗っとるよなつもりで、もう、おかげでですね、もう十日ぐらいしとる間に、ほとんど治りました。そして、もう、ツウが出来てから、痒うなって、そこでちょっと、私が油断をしましたですね。そしたら、それが、湯風が入ったち言うのでしょうか、これが化膿し出しましてね。それはもう、一月以上かかりました。けれども、家内がです、ちょうど、北京から引き揚げて帰ってくる時に、化膿性疾患に効く薬を持って帰っておりました。そればあーた、着けなさい、そげん化膿しとるとじゃけん。けれども、やっぱり、本当の、私は、おかげを頂きたい。本当に神様のおかげを頂けれる事を確信したいというのですからですね。それで、おかげを頂いて、結局、御神米と御神酒さんだけで、おかげを頂きました。という様にですね、まぁだこちらは、信が薄いのですから、そういう失敗もありますよ。けれども、そこんところでへこたれずに、貫かせて頂くという所にです。例えば、久保山さんの場合でもそうです。ここんところを、もっともっと、貫かれたらです。虫も出来んごとなるでしょうね。本当に、薬は毒だということも分かってくるようになる。だから、そら、なるほど、頭が痛い、腹が痛いといや、頓服を飲みゃ良くなるかもしれませんけれどもです。もう、それは毒だという事を、本当に確信したらです。稽古させて頂いておるうちにです、もう本当に、薬を飲まんですむごたるおかげになってくるです。そりゃ、祈れくすれと仰いますから、神様にお願いをして、お三宝の上にお薬をお供えして、そして、それをお下がりを頂いて飲む。それも良いです。けれども、それは、おそらく、一生飲まなきゃならないでしょうね。どうかあるち言うたら。私は、一生、お薬のお世話にならんですむようなおかげを頂くためにはね、今、言うならば、ちょっとした風邪やら、頭の痛かぐらいな、小さい所から、本気で稽古をさせて頂いて、御神米というものが、御神水、御神酒さんが、こんなに有難いもんだという事を分からせて頂くための、そういう稽古もせにゃいかん。はぁあーた、お薬飲みなさい。うんにゃと言う時には、必ず、金光様の信心すりゃ、薬も飲まれんと言うては、悪口言われるかも知れません。けれども、それを貫いて行くことが信心なのですからね。そこに、いわば、生まれて来るのが確信です。いわば、須田先生の言葉じゃないですけれども。信は力なりと言うておられます。その、信は力というようなおかげを頂くためには、どうでも、変人にならなければ、信は力というようなものは生まれて参りません。どうぞ、変人とは、直ぐいことと言われますから。これが本当だ、これが真っ直ぐいことだと分からせて頂いたら、それを、やってやって、貫かせて貰うという事、やり抜かせて貰うという事。そこから、確信に満ちた生活が出来れるおかげが頂けて来る訳ですよね。どうぞ。